百年の姑息

本と深夜ラジオと音楽が好きですがその他のものごとも好きです。

アートとストリートについて|「丸の内ストリートギャラリーガイダンス produced by オールナイトニッポン」

「丸の内ストリートギャラリーガイダンス produced by オールナイトニッポン

 丸の内仲通り沿いでは、丸の内ストリートギャラリーと銘打ってパブリックアートの屋外展示が行われている。草間彌生を筆頭に、さまざまな作家による造形作品が設置されているのだけれど、そこで実施されているのが「丸の内ストリートギャラリーガイダンス produced by オールナイトニッポン」だ。これがとっても面白い企画なので紹介したい。

 

ニッポン放送オールナイトニッポン」と東京・丸の内の屋外彫刻展示「丸の内ストリートギャラリー」がコラボレーション。オールナイトニッポン金曜日のパーソナリティ 三四郎オールナイトニッポン0(ZERO)火曜日のパーソナリティCreepy Nuts、水曜日のパーソナリティ佐久間宣行が、彫刻作品の音声ガイダンスを努めます。丸の内仲通りを中心に点在した12作品の台座に設置したQRコードを読み取ると、ここでしか聴けない音声ガイドを聴くことができます。

www.allnightnippon.com

 

 まず面白いのは、丸の内という立地。おハイソで優秀そうな大人たちがオフィスカジュアルみたいなお洋服を着て丸の内ランチと洒落込んでいるその真っ只中に侵入していく、スマホ片手にイヤホンを挿した根暗ラジオリスナー。ラジオを通じてこの小綺麗な通りに投入される異物。そういった構図がすでにこころなしか気持ち良い。

 そしてわたしは勝手に、そんなリスナーたちの姿を、仲通りに設置された作品たちに重ね合わせてしまう。 この作品たちも、(リスナーたちと同様に)元々はこの通りにおいて異物のような存在であった、あるいは、あろうとしていたのではないかと考えてしまうのだ。その意味で根暗ラジオリスナーと作品群の姿は重なる。しかしわたしがあえて「元々は」と言ったのにも訳があって、というのもそれは、現在この作品たちが、ほとんど単にお洒落なエクステリアとして、丸の内の素敵な暮らしを彩ることを強いられているからだ。丸の内の素敵なオフィスライフに華やかな彩りを添えるために骨抜きにされた芸術。少なくともわたしが訪れた日には、丸の内は見事にこの作品たちを吸収していた。こんな言い方はあまりに乱暴かもしれないが。でも、目に優しいオブジェとしてそこに置かれているだけなんて、と悲しくなってしまうのも事実だった。

  わたしが丸の内にたどり着いて、最初に受けた印象は以上のようなものだった。全てを取り込んで小綺麗に完成されてゆくオフィス街という怪物がそこにはいて、その存在はかなり恐ろしく思われた。同時に、三四郎Creepy Nutsと佐久間宣行はこの怪物とどう接していくのか、というのが一つ気になるポイントとなったのである(とはいえ、わたしは単純に彼らのラジオが大好きなので、それはそれとしてエンタメを楽しむのが主眼です)。

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丸の内は小綺麗である

 

 ともかく。実際に作品を見なければ始まらない。 

 現在、この通りには全部で12の作品が設置されている(作品の一覧は公式HPのマップと作品リストを参照してほしい)。つまり、三四郎Creepy Nuts、佐久間宣行は、一組につき四作品のガイダンスをすることになる。個人的には公式HPのマップでリスト化されている作品を一番から順に巡ることを推奨したい。というのも、それぞれのパーソナリティが後続する作品にコメントを寄せる「ライバル」に対してフリを入れていたり、カジュアルな伏線回収があったりと、順番に見てこそ楽しめる仕掛けがいくつか存在するためだ。とはいえ、必ずしもそうした見方が想定されているわけでもないようなので、好きなように楽しむのが良いだろう。

 

  観る(そして聴く)楽しみを削いでしまっても不本意なので、ここでは印象的だったコメンタリーの紹介をしたい。個人的な白眉はCreepy Nutsによる、桑田卓郎『つくしんぼう』へのガイダンスである。 

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桑田卓郎『つくしんぼう』(2018年)

DJ松永(以下D):見た目はこれ前衛的な出で立ちじゃないですか。
R-指定(以下R):うん。そうですね。結構変わった。
D:これにね。伝統的な技法が使われてるなんてね。
R:それはすごいですね。
D:組み合わせがね。すごいですよね。
R:すごいな。
D:ストリートとアート。この繋がり、もうそもそもね。そのものがヒップホップといっても過言ではないですよね。
R:そうなんですよ。やっぱヒップホップっていう文化自体がストリートで生まれる芸術のことを言いますから。ラップでもそうですし、DJも、ダンスも。そしてグラフィティなんていうのはほんまにね。道端で。
D:グラフィティは、道端に。壁とかにこう、スプレーとかでガーって。
R:そうです。しかも、伝統的なね、この、鰄とか、石はぜっていう伝統的な技法を、それを大胆にこう組み合わせてしまう。で、それが、結果、こんな派手な、金のブリンブリン的な感じとかなるのもヒップホップ的ですよね。
D:これもうサンプリングですよ。
R:確かに確かに。
D:ヒップホップの伝統的な作曲方法でサンプリングっていうのがあるんですけれど。それこそ昔のジャズとか。ブルースとかソウル、ファンクを取ってきて。で、それを、今の人が、新しく咀嚼して、全く別のものを生み出すという。 

 Creepy Nutsがまず提示するのは前衛/伝統、ストリート/アートという二つのパラレルな二項対立だ。「ヒップホップ」はそれらの結節点として存在する。彼らにとって、伝統を踏まえた前衛、アートを汲んだストリートこそがヒップホップたりえるのだ。仲通りに置かれる『つくしんぼう』は、第一に「伝統的技法を駆使してつくられた前衛的造形である」という点でヒップホップであり、さらには「アートの文脈から仲通りというストリートへとあらわれた」という点でもヒップホップである、というのが二人の主張である。面白いのは、こうしたやりとりによって、丸の内の小綺麗さが骨抜きにしてしまったこの造形物が息を吹き返すように思われることだ。ハイソな街並みの中に吸収されてしまったこの作品は、「ヒップホップ」という(半分くらいは冗談の)言葉を与えられることで、新しい輝きを放つ。そうした輝きを、「アート」が担うこともできるのだろう。しかし、「アート」がハイソさに吸収され、むしろそうした上流感を演出する仕掛けとして利用されている状況では、「ヒップホップ」の俗っぽさこそが丸の内を撹乱する力を持つことができるような気がするのだ。

 さらに、その実践は、アカデミックな批評ではなく、ヒップホップユニット兼深夜ラジオパーソナリティの「おしゃべり」によって達成される。それが力強い。これは私見ですが(いや全部私見なんですが)、やはりアカデミズムの言葉も完全に上流階級の言葉となっている気がするこのご時世、エンタメの言葉/ポップカルチャーの言葉は、それとはまた違う種類の力を持っていると思いたい。

 

 さて、R-指定はラッパーなので、DJ松永は彼に対して「つくしんぼう」という言葉で韻を踏むよう要求する。その中身を書いてしまうと面白くないのでそれは置いておいて(まあ秀逸です)、ここではその後の、R-指定のパフォーマンスを踏まえたやりとりを引用したい。

D:(韻を)二個隠してきやがったわけですね。
R:これもまたアート。
D:おおおっ!(笑)
R:これだからあの。隠れてた韻が頭の中で暴発する「韻はぜ」ですこれは。韻はぜという大胆な技法を使わせていただきました。
D:(笑)

  R-指定は自身の専門であるヒップホップで勝負するのだけれど、そこに忍ばせた韻を彼は(『つくしんぼう』で用いられる伝統技法である石はぜとかけて)「韻はぜ」と表現する。もちろんこれは冗談なので、こうして語り直すというのは極めて野暮な行為だと思うけれど。すばらしくないですか? 彼は「韻を踏む」ことによってヒップホップを実践しているけれど、さらにその行為の一部を(陶芸用語を引きつつ)「韻はぜ」とパッケージ化する。つまり、ここで行われているのはまさにサンプリングで、「石はぜ」という元ネタを(彼の言葉を借りるならば)「新しく咀嚼して、全く別のものを生み出す」行為だ。何重にもパフォーマティブなヒップホップの実践。際限なき引用。困難の鮮やかな達成からは、彼の天才の片鱗を垣間見ることができる。

  そして、まさにこうした引用こそが、(Creepy Nutsに限らない)この企画の面白さだ。三四郎は私的なエピソードを、佐久間宣行はエンタメを、Creepy Nutsはヒップホップを。丸の内という空間とそこに展示されるアートの鑑賞体験に、彼らはその外部からいろいろなものを引用する。作品と自宅のソファを比べて悦に入る。関係ない(?)漫画を紹介して笑う。韻を踏む。そのようにして、一度は丸の内で骨抜きにされた作品たちを、外部から復活させる。

 

 あるいは。根暗ラジオリスナーたちによる丸の内への侵入をも一つの引用として捉えてしまうのは強引だろうか。あまり訪れそうにない人々を取り込み、他の土地の、文化の文脈を取り込んでいくという引用。他の街による引用を、ラジオが強制する。そういう力をエンタメが持っていてほしいと願ってしまう。

 

 言いたいことはこれくらいですが、面白かった作品とガイダンスをもう少し紹介。

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鹿田淳史『コズミック・アーチ '89』(1989年)

 鹿田淳史『コズミック・アーチ '89』(1989年)。音声ガイダンスは三四郎が担当。相田のノリが愛らしい。作品解説も一応真面目にやるけれど、あまりそれとは関係なく二人でふざけるのが魅力的だ。

 

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金氏徹平『Hard Boiled Daydream』(2018年)

 金氏徹平『Hard Boiled Daydream』(2018年)。音声ガイダンスは佐久間宣行が担当。わたしも大好きなとある漫画について語っていた。

 

 こんなところで。ともあれ、大変楽しい企画であるのは間違い無いので、ぜひ。